信じて、跳べ
スパイダーバース観てきました。
控えめに言って最高でしょ。
圧倒的な映像美でそれだけでもクラクラするぐらい楽しいのにストーリーもちゃんとしててめちゃくちゃ良かった。
アメコミ的なコマ割り表現だったり擬音を画面に描いちゃったり、アニメ表現+コミックを意識した映像
スパイダーマン達がスパイダーセンスを感じるところとかもいい。あのウネウネ線がいいね。
(例によって僕はネタバレとかガンガン書いちゃう人間なので観てない人、あるいはネタバレ許さん!って人は見ない方がいいです)
今まで実写映画で描かれたのはピーターパーカーの物語で、それはもちろん魅力的なんだけども何回も観てると新鮮ではなくなる。
ここ20年で三回もリブートされてますからね。ガンダムや仮面ライダーみたいに違う世界や違う人物を描くわけでなくピーター・パーカーという人物の物語を三回も。多少アレンジが違ったりしますけどさすがに短期間で何回もやり直すと飽きてくる。
そこで新しいスパイダーマンとしてのマイルス・モラレスの話が、展開されるわけですよ
マイルスは地元の子達が行く学校ではなく少し離れたより優秀な生徒が集まる学校に通っています。これは両親がマイルスに期待をしているからであり、将来の選択肢を増やすための大事なことです。しかし、マイルスはそんな勉強づけの日々には嫌気がさし(といっても、成績は優秀)、度々叔父と落書き(というかストリートアートというんだろうかスプレーで壁にイラストみたいなのを描くヤツ)をしてストレス発散する日々、彼にとって一番の相談相手は父ではなく叔父なのです。
口うるさかったり過保護な実の親よりも友達のようなそれでいて頼れる兄貴分のような叔父に憧れるっていうのはまぁ、実にティーンエイジャー的な感じでいいですね。
スパイダーマンのコンセプトとして、ティーンエイジャーが主人公っていうのがポイントだっていうのがあった気がします。完璧な存在としてのヒーローではなく等身大の一人の人間としてのヒーローというところが。
この作品の売りが、色々な世界からきたスパイダーマンたちが出てくるってところなんですが、
次元の壁を開く実験みたいなことをしていて、異世界と繋がってしまったせいで様々な次元のスパイダーマン達がマイルスのいる世界に飛ばされてしまうのです。
白黒でしか表現されない色のない世界から来たスパイダーマンノワールとか日本の90年代~00年代っぽい萌えアニメよりのペニー・パーカーとか2頭身のカートゥーン風キャラのスパイダーハムとか、ピーター・パーカーではなくそのガールフレンドのグウェンがスパイダーマンになったスパイダーグウェンとか、歳をとってちょいメタボ気味のご存じピーター・パーカーとか
(これ書いてて思ったけどバキの選手入場風に書けるかも、原作のスパイダーバースではそれこそ何十人とスパイダーマンが出てくるので。なお、アメコミ版スパイダーバースは映画とは全然違う話です。だから正確には原作の一つといったほうがいいかも)
歳をとってちょっと人生に疲れたピーターとスパイダーマンの能力に目覚めたばかりで戸惑うマイルスのコンビがバディものっぽくていい。
あと、他にもスパイダーハムやスパイダーマンノワールとかペニー・パーカーちゃんとかグウェンとか魅力的だけど、あくまでメインはマイルスとピーターってしたのが英断。
(だけどどのスパイダーマンもちゃんとヒーローとしての自覚がある高潔な精神の持ち主たちであるというところが熱い。
その点がやっぱり、あぁ、彼らは彼らの世界で主役として活躍してきたんだろうなとういうのが窺い知れるわけですよ。)
もっと各々のスパイダーマンを掘り下げたり、これ以上スパイダーマンを出してたら収拾がつかなかったと思うので実にいいバランス感覚です。
父と子の物語だったり、師匠と弟子の関係だったり、ヒーローとは、みたいな色々テーマがありますが根っこにあるのはこれが‘可能性‘の物語であるということだと思うんです。
様々な世界から多種多様なスパイダーマンが集まるって言うこと自体が無限の可能性があるということを示唆しています。
色々な世界きら来たスパイダーマンは見た目や性格も違う。というか人が、違う。
様々な世界のスパイダーマンが人種や性別、年齢も越えて存在するということ。
作中にはでていませんが悪のスパイダーマンだっているかも知れない。
無限に広がる可能性っていうのは素晴らしさと共にある種の恐ろしさも含まれています。
昔は悪さしてた父親が警官になったり、憧れていたおじさんの正体が...だったり。
よくなる可能性もあれば、悪くなる可能性もある。なにをもっていいとか悪いとか判断するかわからないですが…人によって判断基準は違いますからね。
でも、一歩踏み出して跳びだす勇気がなければ、なにも起きない。辛いこと、悲しいこともあるかもしれないけど、それに負けず、立ち上がり、前に進むことができるものがヒーローなんだと。
スパイダーマン映画のほとんど全てに、能力に目覚めて町中をスィング(蜘蛛の糸を使ってターザンのように町中を跳びまわる)するシーンがあるんですが、このスパイダーバースでも途中のちょっと気分が落ちるシーンのあとに覚醒シーンとしてその爽快なスィングシーンがあるんですがやっぱりテンション爆アゲでしたね。とかく覚醒シーンっていうのは気持ちのいいものです。
『誰だってマスクをかぶれる、キミもかぶれる』
作中で語られるこのセリフがなんとも素敵じゃないですか、
誰でもヒーローになれる、望んで、一歩踏み出せばその可能性はあるんだと
フィルロードってなんか聞いたことある名前だと思ってたらLEGOムービーやLEGOバットマンを作った人だったのでそりゃ面白いわけですよ。
ところで肩ポンってアメリカでは流行ってるの?
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』予告3(3/8全国公開)